■エッセイ

エッセイ日々食々 #1「マスク入れです」

 1年で一番気候のいい時期だというのに、今年は5月に雨が多かった。
自粛生活に反発しながらも、まだ多少それに倣った生活をしていて、また仕事柄どうしても出かけなくちゃならない時以外は家で過ごすことも多いから、無理に雨の日に外に出ることは少ない。

 なのに、浅草に行ったその日は大層な雨だった。入谷でそう急でもない用事を済ませ、その帰りにわざわざ浅草の蕎麦屋に行こうと、ビショ濡れになりながらバス停にたどり着き、店の最寄りの停留所で降りた。最寄りと言っても土地勘があるわけではないので、Google Mapをたよりに降り、そこから10分ほどは歩くことになった。

 後から知ったのだが、この日は浅草神社の3年ぶりの三社祭だったらしく、この大雨のせいで「大行列」は中止になった。目当ては蕎麦だったが、残念に思った。

 ちょうど雷門から南に少し下ったあたりにある「並木」は、大雨のおかげでいつものように店先に並ぶ人はなく、すんなり入れた。
 連れのいない私は、奥のテーブルの相席に通され、斜め向かいに座る初老の男性に軽く会釈をして腰をかける。
「小上がりがよかったな」と少し思ったけど、中は満席。すぐに席にありつけるだけでも満足しなくてはいけない。

 メニューを持ってきた女性が「マスク入れです」と、端の折り返した部分をまたいで「藪」と筆書きのプリントがなされた、マスクより一回り大きい紙をテーブルに置く。
 東京に住むようになってから浅草は佇まいや食べものが好きで度々行っていたが、前にこれをもらった記憶はないから、随分ここにはご無沙汰していたらしい。
 透明のアクリル板越しに隣客がとろろ蕎麦をすするのを眺めながら、私はこちらで天せいろを頬張る。
 相席の人と肩が触れたり、蕎麦をすする息遣いを直接感じることはない。

 カラッと揚がったえびの天ぷらは「東京だなあ」と関西の人間に思わせる。
蕎麦と天ぷら、それに鰻は東京のものが好きだ。天せいろはそれを一気にふたつ叶えるから、大好きだ。喉越しのよい蕎麦と小ぶりの天ぷらを塩辛いつゆにつけて食べるのは永遠に続いてほしい出来事だ。
 なるべくゆっくり味わうつもりが、上品な量の蕎麦はあっという間に私の胃袋に収まり、その頃には隣の男性は会計を済ませて出ていった。

 透明の壁で分断されていても、人の気配がなくなったテーブルにちょっと寂しくなって、店内を見渡す。
 小上がりには3〜4人のグループがそれぞれの席を埋め、蕎麦をすすっている。私から一番遠い席の男性グループは昼から日本酒や瓶ビールを空けている。コロナ前より、酔っていてもつい小声で、遠慮がちに肩をすぼめて座って見えるけど、どこか幻想的なこの店の一部になっているように感じる。
 いつまで経ってもおのぼりさんの私は、こういう粋な下町風情を楽しみたくなるのだ。

 席についたときと同じ女性の店員さんが私の席に近づいてくる。「マスク入れです」と急須を置いた。
「あ、蕎麦湯です」とはにかみながら言い直し、私もちょっと笑って目を合わせ、心の中だけで「これもコロナのせいだな」と言う。

 一番奥にあるガラスのない小窓の向こうに会計する店員さんが座っていて、そこへ支払いに行く人もいるが、先程ほどの店員さんが声をかけてくれたので、私はテーブルで済ませて席を立った。

「ごちそうさまでした」と、それだけはなるべくしっかり届く声で挨拶をして、引き戸を開くと、雨はすっかり止んでいた。
 ズボンの裾はまだ濡れたままだったけど、ここにしばらく来ない間に無意識に溜まっていた、ちょっと鬱屈した気分が晴れたようだった。
 足取りは軽く、雷門へ向かって進んだ。

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皆様の食卓がおいしく、安らぐ場所でありますように。